安全って?

フィリピンは安全か?ノーと答えるのが基本だろう。

でも、何年間も暮らしていても危ない目にあったことがない人も多い。それなりに注意しておけば安全という。人それぞれ基準は違うが、一人でフラフラ出歩け場所はかなり限られていると思っていい。

安全と言われるリトル東京日本食グロセッリでも強盗が発生する。頻度は少ないが、そこに遭遇する人はいる。その人にとっては、リトル東京安全神話なんて糞くらえだろう。どこにいても安全ということはない。敢えて言えば比較的安全なところ選んで生活しているから、フィリピンは言うほど危険ではないということか。

貧富の差も大きく、サラリーマンの平均月収は日本の10分の1程度、大学を出ても職がなくトライシクルのドライバーで日銭を稼ぐ人も多い。それすらできない人もいるし、一歩入るとストリートチルドレンがゴミを漁っている。

その一方に存在するマカティやボルファシオ、微妙なバランスでなりっているフィリピンの安全神話。常に忘れてはいけない現実。

フィリピンで生活するのは、リスクと如何につきあうか・・・である。

アメーバー赤痢 初体験

アメーバ赤痢感染になりました。フィリピンに足を踏み入れた私への強烈な歓迎(洗礼)です。最初は、風邪かと思わせる悪寒と発熱、一晩中続く腹痛と渋り腹、今までにない症状に翌朝は病院に行く決心ができていました。水飲んだぐらいでは治らんわ~。

病院に行って、出ない便も無理から少しだけ出すと、検査結果はアメーバーですね。7日間の薬を処方されました。

3日目ぐらいから少しづつ改善、渋り腹から下痢へ、アメーバーが体内から排出されていると思いつつ。

6日目の夜、又しても渋り腹・・、治る過程と信じたいが、7日目の昼にやっぱり何かがおかしいと、再度病院へ。。。

先生が車の修理で不在。ここからが、当地の凄いところで、電話で先生と話をして、再度便検。すると、アメーバーが残っているとのことで、先生が、他の先生に説明して、追加の薬の処方箋をゲット。さらに1週間投薬。

2週間の投薬の結果、投薬最終日に下痢がとまらない。病院に相談したところ、再検査要とのことで、再便検。

まだ、アメーバーが体内に・・と思いましたが、無事アメーバーが消え去り、違う細菌が残っているとのことで、一般の抗生物質を投与。

ようやく復活。2週間を超える戦いが終わりました。

どこから感染したのか・・・水回りにはかなり気を付けていたので、信用できない水はもちろん口にしないし、生野菜や刺身もかなり信頼できる店しか手をだしていなかったのに。

怪しいのは、かなり有名な日本料理店(2店)のいずれか・・周りにアメーバーではないがお腹を壊した人がいたので、おそらくは、※※※※でしょう。

しばらく使用禁止ですね。

この地に赴任すると一度は掛るといわれるものの、かなりきついので用心には用心を重ねて掛からないのが一番ですね。

50歳の自分に

今日は一日中コンドミに居ると決めた。窓の外は、高層ビルが立ち並び、強い日差しの中で車の流れが見える。

人生を振り返ると、そこには50年の歴史がある。嫌だったこと、情けなかったこと、恥ずかしかったことが頭をよぎる。本当につまらない人生だっただろうか?

逆に、愛されたこと、初めてできたこと、うれしかったこと、感動したことも沢山あったことに気づく。

こんな人生なんて・・・と思ったときもあったよね。いっそ死んでもいいや、長生きなんかしなくてもいい。そう思ったことも多々あった。

今もそう思うか?

心のどこかではそう思っている。でも、自分を大切だといってくれる人、必要だといってくれる人、応援してくれる人も沢山いることに今は気付いている。

頭でわかっても心で気づけなかったころ、どうやって生きていたんだろう・・今でも不思議にかなり断片的にしか記憶がない。あのとき、思い切って死を選んでいたら・・・そう思うときもある。(期間にして2年と少しのはずなのだが・・・あまりにも心が死んでいて、ただ呼吸をしていただけなのだろう・・)

今は、前を向いて残りの人生を頑張って生きていこうと思っている。一緒に歩んでくれる人、応援してくれる人、応援し続けたい人がいるから。

50年がんばって生きてきた、生きることを諦めなかった自分を褒めてあげよう。そして、これからも生きることを諦めず、前を向いていこう。一人じゃないってわかっているから。

50年間ありがとう。そしてこれからもよろしく。

50歳の海外赴任

もうすぐ50歳を迎える。先に述べたように、今回の出向が、若いころのように今後の立身出世に役立つわけではなく、行き場を模索するサラリーマンの選択に一つだということはわかっている。まして、病の父を置いて赴任している我が身にとっては、この出向自体を後悔している自分がいる。さらに、追い打ちをかけるように、目が細菌で充血し、感染症を患い、精神的にも追い詰められてきた。海外赴任の孤独・・・

そんな折、妻に「50歳になったんだから、人のことより自分のことをもっと考えなさい。人生折り返し地点を過ぎてるのよ」と言われた。言われてみればその通りだ。

子供は大学生、20歳を過ぎて好きなように暮らしている。父親は闘病中だし側にいてあげたいところだが、日本にいたところで、十分な対応はできないだろう。

むしろ、今の自分の人生、この瞬間を大切にしなさいということなのだろうか?

少し違う気がする。自分のことを考えなさいということだろう。出向はいつまでも続かない。人生はまだまだ続くのだから。その中で、この出向をどう位置づけるか・・

幸い妻はこの地に来るという。私のために一緒に暮らしてくれるという。私は彼女のために何ができるのだろうか?帰りたいと思っている場合ではないのかもしれない。

日本に残ったとして、良いことがあっただろうか?

仕事がつまらなくて、しがらみが嫌で、サラリーマンとして最後のチャンスとして、この地に来ることを了承したのではないだろうか?

父の病は、赴任直前の話で如何ともしがたいが、それ以外は自分の望んだ道ではなかったか? とすれば、今、心に引っかかるのは父の病か?子供の行く末か?

いずれも既に自分の手の届かないところにあるもので、温かく見守るしかないのではないだろうか?あれこれ世話を焼かず、出てきた問題に対処することが最善なのかとも思う。自分の心の弱さをここに投影しているだけなのかもしれない。

となると50歳の海外赴任は、健康を維持し、自分を見つめなおして、自分の人生を生きることに尽きるのではないだろうか。この地にいることが仕事と思い、できるだけ自分らしくゆったりとした歩みを求めたい。

海外赴任と父親の病

海外赴任で海外に居住する日本人サラリーマンは年々増加している方向だろう。最近の若い人たちは日本に居たい人も増えているというが、企業は海外に出ざるを得ない。特に製造業に至っては、安い労働力が競争力を生むために、いまや当たり前となっている海外赴任。では、この海外赴任が各人の置かれてる事情によって人生に及ぼす影響はどうなるのだろうか。最も子供の養育、両親の面倒などお構いなしに赴任に一心不乱に突き進む人には、この話はあてはまらない。

私の場合、実の両親が高齢ながらも日本で生活している。微妙な書き方だが、赴任直前に父親に癌が見つかってしまった。海外赴任というイベントが無くても、かなりショッキングなできごとであるが、赴任まで1か月を切ったときに父がステージⅣと言われ、思考がとまってしまった。

今更後戻りできない・・そう思った。運が無い・・・そう思った。海外人事は数か月かけて進められる・・無茶を承知で、これを理由に海外赴任を断ることも考えた。でも、母親も当の父親も断ることなんて期待していない。大丈夫だから・・・。大丈夫な訳ないじゃないか。でも、息子が父親の病を理由に海外赴任を断ったら・・、息子を持つ父親の人として、そのまま行かせることが本人の希望ではないかと考えた。

結局、出向前の上司には告げず、そのまま出向することを決心した。2か月が過ぎ、あのときの判断は正しかったのだろうか。

母と姉が面倒を見ているが、彼女たちに対する申し訳なさと、抗がん剤治療で弱ってくる父の情報から、面倒をみれない自責の念が生じる。なりふりかまず帰るべきか・・一旦覚悟して出た以上、それはできないと、もう一人の自分が言っている。

結局、出向先の上司には事情を説明した。協力するから必要なときは帰国してい良いと言って頂いた。帰ったからと言って、自体が変わるわけではない。ほんの数日滞在したら、この地に戻ってこないといけない。そう思いつつ、母と姉にラインを打った。

自分の思っていた以上に彼女たちは。数日の一時帰国を受け入れてくれた。家族と医者で相談したいことも、気弱になってしまうこともあるだろう。こんな長男でも頼りになるのだろうか。年老いた母の顔が浮かぶ。ごめんね・・。でもこれは、貴方の息子が父親だったら、と選んでしまったことなのです。

まだ父が元気な間に顔を見せよう。顔をみせに帰ってきたことで母を安心させよう。今更、この出向に何かを期待しているわけじゃないじゃないか。出向者に事情を話して、少し休暇をとって帰ることにしたいと心底思う。明日、上司に話をしよう。

何が最善か、自問自答が続く。

海外赴任の孤独

この地にきて2か月。

現在感染症でダウン。まさに洗礼を受けている感じ。

体調不良で一人コンドミに居ると、孤独感から気落ちしてきますね。窓から見える風景も自分には優しくなく、この地に何をするためにきたのか?という海外赴任者のNGワードが頭を過ぎる。やばい傾向ですね。

奥さん、子供、両親を置いて単身で来たのは良いけれど、ここで何をしているのか・・この赴任が人生にとって意味があるのか・・・何をしたいのか・・・

若い時と違う、50歳という年齢での出向の意味、3年で帰任して53歳、5年で帰任すると55歳、役職定年を56歳とすると、帰任後は定年再雇用へのレールを進むのだろうか?

ここに父親の健康問題まで発生して、ますますここにいる意味を自分に問いたくなる。

(父親の健康問題は別の時に紹介しますね)

では、帰任を希望する?帰りたいと叫ぶ?

そうしたい自分もいるのだが、そうしたくない自分もいる。むしろ今は我慢と心の一部が言っている。

今日ここで、こうしてブログを書いていることが、今日ここにいる意味かもしれない。孤独と如何につきあっていくか、海外赴任者の課題でしょうね。

目的意識なんか低くても良い。人生の役に立たなくてもいい。なんのメリットにつながらなくてもいい。ただ、ここにいる。それが今の目的でも。

窓の外をみながら自問自答を繰り返す。体調不良の日曜日です。