50歳の海外赴任

もうすぐ50歳を迎える。先に述べたように、今回の出向が、若いころのように今後の立身出世に役立つわけではなく、行き場を模索するサラリーマンの選択に一つだということはわかっている。まして、病の父を置いて赴任している我が身にとっては、この出向自体を後悔している自分がいる。さらに、追い打ちをかけるように、目が細菌で充血し、感染症を患い、精神的にも追い詰められてきた。海外赴任の孤独・・・

そんな折、妻に「50歳になったんだから、人のことより自分のことをもっと考えなさい。人生折り返し地点を過ぎてるのよ」と言われた。言われてみればその通りだ。

子供は大学生、20歳を過ぎて好きなように暮らしている。父親は闘病中だし側にいてあげたいところだが、日本にいたところで、十分な対応はできないだろう。

むしろ、今の自分の人生、この瞬間を大切にしなさいということなのだろうか?

少し違う気がする。自分のことを考えなさいということだろう。出向はいつまでも続かない。人生はまだまだ続くのだから。その中で、この出向をどう位置づけるか・・

幸い妻はこの地に来るという。私のために一緒に暮らしてくれるという。私は彼女のために何ができるのだろうか?帰りたいと思っている場合ではないのかもしれない。

日本に残ったとして、良いことがあっただろうか?

仕事がつまらなくて、しがらみが嫌で、サラリーマンとして最後のチャンスとして、この地に来ることを了承したのではないだろうか?

父の病は、赴任直前の話で如何ともしがたいが、それ以外は自分の望んだ道ではなかったか? とすれば、今、心に引っかかるのは父の病か?子供の行く末か?

いずれも既に自分の手の届かないところにあるもので、温かく見守るしかないのではないだろうか?あれこれ世話を焼かず、出てきた問題に対処することが最善なのかとも思う。自分の心の弱さをここに投影しているだけなのかもしれない。

となると50歳の海外赴任は、健康を維持し、自分を見つめなおして、自分の人生を生きることに尽きるのではないだろうか。この地にいることが仕事と思い、できるだけ自分らしくゆったりとした歩みを求めたい。